特捜部の取調べは、初日の昼過ぎから始まった。
夕飯は自室で取ってまた取調室に戻り、消灯の21時を過ぎるまで続いた。
翌日は、起床後早々に刑務官にグレーの上下スウェットを渡されて、「裁判所に行く」と。何の為に行くのか何をしに行くのかはわからない。
と、いうより朝の慌しさは、聞く間も与えては貰えない。
着替えて廊下に出るよう促される。廊下では配膳係の受刑者が朝食の後片付けをしていた。
ところで、テレビやネットの情報では、部屋を出るときには刑務官から「出房」と言われるらしい。
しかし、私は拘置所内でその言葉を一度も聞いたことは無かった。
廊下の先のエレベーターホールに行くと、公民館にあるような折畳みの長机が置かれ、そこに番号が書かれた紙が並んでいた。
自分の番号の前に立つ。
私の紙は、「女8」だ。
自分の番号の前で刑務官より手錠と腰縄を掛けられる。
私の手錠と腰に縄を巻き付け、縄の先は刑務官が持つ。
その他の4名は、手錠を掛けられたあと全員が数珠繋ぎで腰縄が繋がれていた。
他の4名と私の腰縄の付け方が異なるのだが、経済犯は扱いが違うらしいという噂があるということを、後に弁護士から聞かされた。
エレベーターが到着し、数珠繋ぎの4名は迎えの男性の刑務官を先頭に繋がって乗り込む。私は最後に刑務官と乗る。
私の腰縄を持つ刑務官は一番下っ端らしく、大きいボストンバッグ2つを方から掛け、書類ケースを抱えながら手に私の縄の先を握っていた。
目の前にいる数珠繋ぎの姿は、同じ立場であっても、いたたまれないものだった。
地下に移動し、護送車に乗り込む。
大型バスのため後部に先に女性収容者が乗り、あとから前方に男性収容者が乗る。前方と後方の間にはカーテンで目隠しができるようになっていた。
数珠繋ぎの女性4人は2人づつに別れて座らされる。私は荷物持ちの刑務官と一緒に最後部座席の奥に座った。
最後部から車内を見ると、女性5人に対して男性は20人近くいたように思う。
スーツ姿の人もいた。出廷なのだろう。
小菅から首都高に乗り、暫しの渋滞に巻き込まれながらもあっという間に銀座で降りた。
裁判所に到着した時、運転席の上部に時計があるのがわかった。8時少しを過ぎているところだった。起床の7時から一時間で、裁判所までやってきた。
バスを降り、階段で地下に降りて歩いた先に、窓のない留置の部屋があり、部屋の前で手錠と腰縄を外されて部屋に入る。
一番奥に職員の待機場があり私はそのすぐの部屋だった。
今回を含め裁判所の留置所には3回来たが、3回とも同じ部屋だった。
その目印は壁の隅っこに描かれた「私は絶対に執行猶予をもらって帰る」と強く彫られた落書きだった。