おんなしゃちょう何某の雑記〜2024.3リターンズ〜

おんなしゃちょうは 2024/3 出所しました。

拘置所にいた話 最終話 保釈

初公判で、次回法廷は1ヶ月後と宣告を受けた。

 

拘置所に戻り、また翌日よりいつもと同じ何も変化のない日々が続く。

 

唯一変わったことは、数日おきに弁護士より差し入れで届く検察側からの追加の証拠の書類だ。毎回10cm以上の厚みのある書類の束だ。

 

私が取り調べ時の自白から一転、初公判で罪状否認を行なった為、検察側より次々と私の罪状を立証するための資料が出されたのである。

 

ちなみに、この弁護士より送られてきた資料というものはこのような流れのものだ。

 

検察側より追加の証拠の開示をされると弁護士が検察庁に向かう。そこで開示だけを受けるので検察庁内の複写室にて係官に有料複写を依頼する。

 

わかりやすい言い方だと、検察庁天下りの係官にお金を払ってコピーをしてもらう。

一枚、30円だ。

 

毎回数百枚の複写となるため、数万円の負担だ。一旦弁護士に立て替えてもらい、後日清算をする。

私はこの複写代、公判中に計40万円弱を負担することになった。

 

 

もちろん複写代が支払えなければ、検察庁より資料を持ち出すことは出来ないため本当に弁護士が検察庁の窓口その場で「見るだけ」だ。

 

弁護士曰く、脱税の裁判は資料が膨大なものになるため、多い人は複写代に何百万円もの負担が発生するらしい。

 

 

 

日に日に積み上がる資料。

弁護士との接見では山積みの資料を持参するため、刑務官が毎回資料を運ぶための段ボールを用意してくれた。

 

弁護士より、次回一ヶ月後の公判ではこの追加された検察側からの証拠資料について、私(弁護人)がひとつづつ同意、不同意を行うと聞かされる。

 

そしてこれも罪状認否と同じように事前に裁判所と検察側に通知する。

 

 

追加でやってきた資料はそれ以前のものよりもさらに気が滅入るようなものばかりで、重箱の隅をつつく会社の帳簿類やメール記録、私個人の情報、果ては元従業員や関係者の殊更私の悪評が高まるような有る事無い事書かれた事情聴取の記録もあった。

 

全てが私の自尊心をこれでもかと踏みにじり、特に事情聴取の書類は慟哭無くして読み進めることが出来ないほどだった。

 

 

人はただ保身ゆえにこれ程までに他人をこき下ろせるものなのか。

 

 

私は事情聴取された人たちが誰であるか概ね聞かされていた。中には私の為に誤解を解こうと一生懸命に検察に話してくれた人もいたと聞く。

 

検察はその中で私の印象が悪くなりそうなものだけを提出してきていた。

 

 

身を削る思いで資料に目を通し、接見に来る弁護士にこれは同意します、これは不同意、一部不同意・・・ひとつづつ全てに回答を示す。

 

 

血を吐く思いだった。

 

 

 

 

こんな苦行の日々を過ごせば、当然に心身に影響が出る。

 

 

 

ある日の午前、資料を見ていた意識が少しづつ揺らいでくるのを感じた。

 

少しずつ、少しずつ、目の前の視界が揺れてきた。

 

 

鼓動が高まってきた。胸がドキドキする。

痛いくらいに鼓動が強い。

 

 

右耳の中の方からキーンという金属音が鳴り始めた。

 

 

 

 

目が回り、耳鳴りがする。

 

 

 

「刑務官に知らせないと」

 

 

立ち上がると同時に壁に激突した。

 

 

立って真っ直ぐに歩くことができない。

 

 

冷や汗が出てきて、余計に気持ちが焦る。

 

 

膝をつきながら何とか報知器を押し、様子を知った担当者が急いで医務室に連絡を入れ、車椅子を用意して連れて行ってくれた。

 

 

投薬と横臥の指示となった。

横臥とは、布団敷きっぱなしで日中も寝ていること。

 

こうなると横臥指示が消されるまで運動時間や入浴時間も一切与えられず、私は一週間まさに寝たきり生活になった。

 

 

 

体調が落ち着いた時は寝ながら資料に目を通した。

 

 

そして、いつまで私はここにいるのだろうかと6月の初夏の蒸し暑さに苦しんでいた。

 

 

 

 

車椅子で弁護士と接見を続けたある日、

「そろそろ保釈請求を出しても良い頃かも知れません。」

と弁護士から話しかけられた。

 

 

保釈の話は以前より何度も聞かされていたが、私が途中で否認に転じたためタイミングが重要だと言われていた。

 

 

事実、起訴された時に一度勾留執行停止と保釈請求を行ったがいずれも逃亡と証拠隠滅の恐れありで裁判所より却下されていたからだ。

 

弁護士は次のタイミングを見計らってくれていた。

 

 

次回の公判終了後に二度目の保釈請求をすることになった。

 

 

 

拘置所に来て四ヶ月が経とうとしていた。

 

 

 

 

保釈という言葉が私を奮い立たせたのか、体調が何とか回復して車椅子無く二度目の公判に立つことができた。

 

 

拘置所では時折汗ばむような陽気なのに、裁判所の留置場は変わらず寒々しい重く暗い空気で澱んでいる。

 

もし保釈が認められなければ、私はまたここに来なければならないのかと思うと、心底不憫な気持ちになった。

 

 

裁判も二度目となると少し落ち着きさも出て、20分ほどで終了し次回はまた一ヶ月後となった。

 

 

 

7月も同じ道を歩いてここにくるしかないのか。

これ以上私の心身は持ちこたえられるのか。

 

 

何とか保釈されたい。

私は祈るしか無かった。

 

 

 

 

拘置所に着いた次の日の朝、刑務官が今日一日の用件を確認するため各居室を巡回する「願い事」の際に私のところに来て、

「昨日はお疲れ様。また一ヶ月後だね。」

と声を掛けてくれた。

 

気にかけてくれたのは嬉しかったのだが、一ヶ月後という言葉が何気ないダメージとなり涙が出てしまった。

 

 

 

 

 

祈る気持ちで時間を待った。

 

 

 

 

お昼少し前だっただろうか。

 

 

 

部屋の食器口が開き、刑務官から一枚の紙が差し出された。

 

 

 

 

 

 

そこには、大きく保釈決定の文字が記されてあった。