おんなしゃちょう何某の雑記〜2024.3リターンズ〜

おんなしゃちょうは 2024/3 出所しました。

東京の刑務所での非常事態宣言

4月6日、週明けいつも通りの忙しさでしたが、朝から幹部職員のフロアへの出入りが多く、職員連絡用の社内PHSがあちこちで鳴り響く。
なんとなくいつもと様子が違う。
私はいよいよ非常事態宣言が出るなと感じていました。時を同じくして大阪拘置所で刑務官がコロナウィルスに感染したと言うニュースも出まして、より一層張り詰めた雰囲気もありました。
何せここは医療刑務所です。万が一ここで感染者が発生したら院内感染の危険もあり、重症化しやすい病人がワンサカいるわけですから。
…これは直に面会もNGになるかもしれない…と思い、すぐさま親族と弁護士に筆を取りました。手紙は週に3日だけ提出ができます。
何とか親族への発信は間に合いました。
翌7日、職員より呼び出しを受け、東京都に非常事態宣言が出ることによる刑務作業中止の通知を受けました。
「介助係としては、とりあえず3食の配膳作業は行う。洗濯回収衣類交換も行う。後は未定。これから居室へ戻ってください。」
頭に三角巾をつけモップを持ちデイルームの椅子上げをしていた私は、ぼう然と向かいに立つ刑務官の顔を見つめましたが、…正直我々だって困っていると言いたげな表情を返されてしまいました。
その後数日は何もかもが未定の中、その都度職員が本部に確認し指示を仰ぐ→会場係に伝達、バタバタと出役→早く帰れと言われながらバタバタと教室に戻るという、予定もスケジュールもない日々を過ごしました。
☆食事は患者全員が監視のない自室で取ることになりました。
誰の監視もない独居で食す…よって、食事をトイレに流してしまうとかティッシュに包んでロッカーに隠したりする人が続出。ナースによる食事チェックもなし。配給されるお茶すら飲まない人も出てきた。飲まない食わないで…死にたいのか?と思ってしまう。
☆一定以上の体重のある比較的病状の良い患者向けの工場作業は一切なし。ずっと居室にいる。精神的にきつそう。
☆収容者全員、夜寝る時以外は四六時中マスク着用が義務付けられた。同じマスクである。寝る前に洗っても良い。介助係にはある日布マスクが配られた。政府が配布したものだろうか。例のごとく患者は辛いとか面倒とか言い出しマスクを外すと言う規律違反者が続出。
☆面会は弁護人(裁判する人)以外NG。そもそも裁判自体も軒並み延期らしい。
☆月1で購入できる私物の日用品類は業者の都合で遅延もあるらしい。ただでさえ月1なのにさらに遅れるとは。
☆2人以上で同時に会話をしてはいけないらしい。密を避けるため?配膳作業を3人でやっている私はどうしたら良いかわからない。
☆エレベーターで停止できない街が出てきた。感染者を受け入れるんじゃないかと言う噂。
☆医者とナースがここは他の病院より全然マシと言っていた。
☆自営受刑者(私のような介助係とか、図書係、園芸係など)は自室にいる間、部屋のテレビで教育ビデオを見せられる。もれなく感想文付き。予想通り、古い内容。
☆朝昼夕食後の患者全員の身体検査。一般的に言う所の身体検査ではなく不正なものを隠し持っていないかの身体検査。
☆外部の人が出入りする理髪(業者が来てくれる)、茶道、オペラなど先生が来るクラブ活動の類はすべて中止。
 
宣言が出される少し前の暖かかった日。私は偏頭痛を起こし頭痛薬を希望したのですが、すぐさまナースが大挙してやってきて2メートル以上の距離から咳は出るか?息苦しさはあるか?と矢継ぎ早に問診を受け、ちょっとした騒ぎを起こしてしまいました…。
 
非常事態宣言を受けて感じるのは施設内全体の雰囲気が本当にピリピリしていること、慌ただしいこと、それを察知した患者受刑者たちの身勝手さ、エスカレートする気言動、ただただ振り回される職員、その職員たちの色と行き場のない苛立ち。
見回りだけにやってくる幹部職員を遠巻きに見ている医療スタッフ
医療刑務所で最も疲弊しているのは現場の職員なのでありました
ある日、もうやってらんねー…と小さくつぶやく声を聞く。
 
追伸:
4月中旬、介助係の作業は必要最小限の中のさらに最小限のみの作業となる。
毎日見ていた教育DVDすらなくなる。
刑務官の数も激減した。