おんなしゃちょう何某の雑記〜2024.3リターンズ〜

おんなしゃちょうは 2024/3 出所しました。

刑務所の良いところ

そんなのある訳ないでしょう!!!

 

とお思いのあなた。

 

 

私もつい数日前まであなたと同じように思っていたのですが…

 

 

 

 

 

気付いてしまったのです。

何と、ひとつだけあります。

 

 

これは声を大にして言いたい。

 

 

 

 

人に最善の食事

そこにはある

 

 

 

 

飲み物は温かい麦茶(夏の昼は冷たい麦茶になる)

あとは水道の水をご自由に

ノンカフェイン徹底してます

施設の都合で年に数回出るペットボトルの緑茶の日はほぼ不眠

 

 

基本的におかずの味は薄い

塩分って何ですか

遠くに味噌をうっすら感じる味噌汁

たまに出来合いの煮物なんて出るとその日は最高に幸せ

 

 

食費一日500円台

やろうと思えばできるんですこの予算で

だから野菜は同じ顔ぶれで常に固定メンバー

メニュー名に〝〜〜〜〜風〟と一応の努力の跡が見えるが蓋を開けると全く別モノで良い意味でヘルシーな流行りのおかず

 

 

胸焼けなんてありませんよ

揚げ物は揚げてません

焼き魚焼いてません

スチームオーブンでチンですから

 

 

むくみとは無縁です

だって無塩ですもの

(山田くん、座布団ください)

 

 

血圧を下げる薬が不要になります

でも一度処方されたらなかなか中止されません

故に低血圧で苦しみます

 

 

 

 

 

いかがでしょう。

我々人間に最善の食事だと思いませんか。

 

体に良い食事、健康に配慮された食事です。

 

 

 

 

 

しかし、私はこう結論づけたい。

 

 

 

 

 

人に最善の食事は

一方で心が荒む

 

 

 

 

と。

 

 

食事は娯楽でもあるというのが、かねてより私の持論です。

 

刑務所の食事によりそれが確信に変わりました。

 

 

 

 

⚠️他の女子刑務所はどうなのかは分かりません。

 

 

 

 

 

 

出所して一ヶ月を振り返る

3月7日に出所して一ヶ月が経ちました。

 

8時半にたった一人のための仮釈放式に始まり、

9時に施設の玄関を出てうすどんよりの昭島の広い空を見上げたあの日から。

 

 

本当に、本当に怒涛の一ヶ月でした。

毎日毎日何かしら小さい用事が発生して。

(殆どが病院通いでしたが)

何だかんだやらなければならないことも手元にいっぱいあって。

 

そして、実家の押入れに山積みされている5年分のダンボールの処理をしながら、3月7日から今日まで思いもよらない「作業」に苦しんだ一ヶ月であったなぁと振り返ります。

 

 

 

塀の中の淡々と繰り返される生活でスッカラカンとなったわたしの中身。

2019年から空き容量100%のまま。

 

そこに必死に5年分の時の流れを詰め込んで行く作業というものが、本当にしんどくて心身共に疲弊して消耗していくものでありました。

 

 

実はいま私は敷きっぱなしの寝床からこれを記しています。

ここ数日体調を激しく崩しました。

心身共にどっときました。

 

 

 

世の中から置いて行かれた私。

 

3月7日、あの時あの瞬間、確かに肉体の私はいたけれど、実はそこに魂の私はいなかった。

何処かに忘れたのか、何処かに行ってしまったのか。

 

 

それ以来、私の魂は戻ってこない。

心と身体が引きちぎられていて、ちぐはぐな自分。

もどかしさと焦りと、不安と恐怖と。

 

 

 

 

心身のバランスが取れなくなってきた頃に、食欲が暴走し始めました。

 

食べ始めると手が止まらない。

お腹が苦しい。

胃が痛い。

それでも一日中口に食べ物を押し込んでしまう。

 

 

 

ちょっとずつ、ほんのちょっとずつこの食欲というものの正体を理解(この食欲は精神的アンバランスからきていると自覚)できるようになってきた昨今、

あぁ私は失ったココロの破片を食欲で埋めようとしているんだなあと自覚できるようになりました。

 

 

 

 

身体の拘束は解かれても、内面の私は未だに5年前に拘禁された状態のままなのかも知れません。

戻らないのです。

 

 

そして上手く表現ができない私の様子、これは恐らく(拘禁という身体拘束を受けたことの無い)誰とも分かち合うことのできないもので、

これからも自分は独りでこれを背負っていかねばならないだろうと思っています。

 

 

 

だから、5年の隙間は埋めに行こうとするのではなく、勝手に埋まるまで待とうという気になりました。

 

 

 

 

もはや成すすべ無し。

 

 

何て悲しい。切なすぎます。

 

 

 

 

なので、

 

 

これは新人の勲章(?)「五月病」ではなかろうか…

と無理矢理前向きに考えてみました。

 

47歳で新人気分です。

今は未だ四月ですから、なんと。先どりです。

 

 

 

 

流行でも株でも先どりが大事。

と寝床でアイスをかじりながらプラスに考えています。

 

 

 

刑務所で最愛の友人の死を迎えなければならなかったという話vol.2

彼女と私との出会いは、彼女がエステティシャン、私がその客という関係からだったと記憶している。

 

 

その頃の私は毎月末前後の5日から1週間くらいが東京滞在。東京の会社の支払い処理や書類の手続きをその滞在期間中に一ヶ月分をまとめて行っていた。

 

それらを終えると東京の会社はスタッフに任せて居住地のクアラルンプールへ戻る。

KLを中心にしながら法人を有するシンガポール、香港等を周り、時折ヨーロッパやアメリカの美容ヘルスケア関連の展示会へ向かうという生活をしていた。

 

 

 

ある人から聞いたことがある。

 

人は、距離で疲弊する、と。

人間の足で移動出来ないような距離を移動し始めると心身を蝕むようになる、と。

 

 

 

私は自分のビジネススタイルに自信を持っていたし、

ライフスタイルについても満足をしていた。

 

私の生き方に女の癖にと眉を顰める人もいたが、その一方であなたのような生き方がしたいと目を輝かせてくれる若者がいてくれたりして、嬉しく励みになったのを覚えている。

 

私の存在が誰かの生き方に希望を与えられているのかも知れない、

私は私だけの人生ではなく誰かの夢も背負っているのだと誇りにすら思っていた。

 

 

 

そしてその頃から少しづつ、

私はまず身体の不調から表面化していったのである。

 

 

 

 

 

刑務所のご飯はクサイのか

ということをよく聞かれます。

 

 

「臭く」はないですね。

 

 

ただ、独特の「匂い」があります。

 

 

刑務所の主食は皆さんご存知の麦飯です。

どんぶり(茶碗なんて呼べないくらいの吉野家

並盛を超える大きさ)に盛られるご飯の中の

麦の比率により、「ムギ臭」が出てきます。

 

 

そのムギ臭が、

食べた人の口臭や体臭として漂っていました。

 

 

私が収容されていたところは医療刑務所だったので

病状で白米100%の粥食の人もそこそこおり、

それゆえか健常者の米麦食のムギ率も控えめだったようです。

 

 

なので、一般刑務所の米麦食のムギ率はこれ以上、

とするとなかなかのムギ臭がするのではないでしょうか。

 

 

 

終日マスクを着用すると外した時に鼻と口元のところが黄ばんでいた…という話を聞いたり、

白い肌着が信じられないくらい茶色くなる…

という他の刑務所の話をベテランの人から聞きました。

 

 

 

 

 

ちなみに、「ベテラン」とは

累犯の(特にしょっちゅう刑務所に出たり入ったりするような)人のことを指します。

 

一般社会でいうところのいい意味ではありませんのであしからず…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5年振りのシャバである

2024年3月7日、しかと踏みしめたおよそ五年振りの塀の外。その景色はまるで変わっていた。

 

 

私は完全に異星から来た人となっていた。

きっと浦島太郎もこんな気持ちだったに違いない。

 

 

 

まずはアラフィフのすっぴんで出歩くのは世間様に申し訳がない。

出所したらソッコー行くと決めていた、立川駅のメガドンキの化粧品売り場に向かう。

 

 

しかし、店内に響くあのどんどんドン🎵ドンキー🎶の音と押し寄せる人の波と陳列された無数の商品の色彩で入店後すぐに酔ってしまい、トイレで吐いた。

 

10分後ようやく復活し、念願の化粧品を買う。

 

帰りに出入り口付近でお菓子いくつかを買うつもりが。

 

 

 

 

ついに出所あるある第一弾が発動した。

 

 

 

欲望リミッターが外れた。

 

 

 

 

 

私は目にするお菓子を手当たり次第にカートに山積みする異星人となり、レジのお会計という画面に示された『合計』は○○万円を超え、遂にはレジ係の人に全てお買い上げで大丈夫ですかと不安そうに尋ねられた。

 

 

 

 

しかし、絶対に買うと心に誓っていた肝心のものは買い忘れる。

 

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父に託していた私のスマホ、五年振りのiPhoneが私の手元に戻ってきた。

 

扱い方を完全に忘れて手に持ったまま暫し呆然。

 

右手が動かない。

 

 

 

 

因みに6である。

 

 

 

 

何気に父が手にしているスマホを見る。

ドヤ顔で「お父さんのは15」と返された。

 

 

 

 

 

取り敢えず飲み物買うかと入ったコンビニの会計で、店員の言っていることがわからない。



焦って財布から札を束ごと落下させた。

(出所時に作業報奨金を束ねて受け取り、そのまま財布にしまっていた)

 

 

 

 

 

お恥ずかしながら、私はもう身も心もいっぱいいっぱいで限界だった。

 

 

 

 

 

そして帰宅してから今日この時までひたすら口にタベモノを入れ続けている。

 

 

いくら食べても満腹にならない。

これも出所あるあるらしい。

 

 

最早味覚も麻痺してした。

顔も手足も過剰糖分と塩分でパンパンに浮腫んでいる。

 

さらに毎晩夜更けにトースターで木村屋の食パンを焼いている。

 

 

 

 

赤々と熱を帯びた庫内を見つめていたら、

つつっと涙が頬をつたって落ちた。

 

 

 

 

 

 

みじめだ。

 

まるでお腹を空かせた野良犬のようだと思った。

 

 

 

出所した話

去る2024年3月7日午前9時15分、

私は東京都昭島市にある東日本成人矯正医療センター正面玄関に立ち、そこから空を見上げた。

 

薄曇りの空だった。

 

昨日も一昨日もこの空を見上げていた人なら、

「あー、どんよりしている」なんて溜息をつきながら思うのだろう。

 

でも5年振りの鉄格子のない空を見た私には

それはとてもとても眩しくて、

薄目を開けて遠くの景色を見つめるのが精一杯だった。

 

 

 

ああ、私は出所したんだ。

 

 

 

思い返せば東京地裁での判決の日、

2019年3月31日も曇り空だった気がする。

 

 

判決で懲役4年6ヶ月罰金6000万円を言い渡され、

東京拘置所に収監された。

そして6月の下旬にこの施設へ移送されて、

私は5年間を刑事施設で生きてきた。

 

 

 

世の中はこの5年で大きく進み、ありとあらゆることが進化してきただろう。

 

でも私という人間はあの日あの時ののままで止まっている。

 

 

 

大切なあの人この人もきっとこの5年で大きく変わったのだろう。

 

でも私の記憶の中の皆んなは、5年前のままだ。

 

 

 

 

早く世の中を見てみたい。

早く皆んなに会いたい。

 

 

 

 

玄関を抜け、駐車場へと歩んだその先には

5年振りのアクリル板の無い父と母の姿があった。

 

 

刑務所で最愛の友人の死を迎えなければければならなかったという話。

あなたには、最愛と呼べる位大切な友人はいますか。
もし、3年前の私が自分自身に同じ問いかけをしていたとしたら、おそらく私は極々冷めた表情で、こう答えていただろうと思います。
 
「そんな人は行ったこともないし、これからも出会うこともない」
 
それまでの私は一般的に言う所の親友と言うものを持つようなことがありませんでした。さらに必要だ、ほしいと思ったことすらもなかったように記憶しています。
自分自身が自分の1番の親友であり自分の事は自分が最もよくわかっている、そう考えていました。
しかし今の私が自信を持って言うことができます。
「私には最愛と呼べる親友がいました」
そして続けて行加えます。
「でも、もう会うことをも声を聞くこともできません。」
これは、私が40歳で初めて得た親友と言う大切な存在の、その出会いから、社会とは完全に断絶された世界の中で彼女の命の灯をしなうことになるまでの話です。