3月7日に出所して一ヶ月が経ちました。
8時半にたった一人のための仮釈放式に始まり、
9時に施設の玄関を出てうすどんよりの昭島の広い空を見上げたあの日から。
本当に、本当に怒涛の一ヶ月でした。
毎日毎日何かしら小さい用事が発生して。
(殆どが病院通いでしたが)
何だかんだやらなければならないことも手元にいっぱいあって。
そして、実家の押入れに山積みされている5年分のダンボールの処理をしながら、3月7日から今日まで思いもよらない「作業」に苦しんだ一ヶ月であったなぁと振り返ります。
塀の中の淡々と繰り返される生活でスッカラカンとなったわたしの中身。
2019年から空き容量100%のまま。
そこに必死に5年分の時の流れを詰め込んで行く作業というものが、本当にしんどくて心身共に疲弊して消耗していくものでありました。
実はいま私は敷きっぱなしの寝床からこれを記しています。
ここ数日体調を激しく崩しました。
心身共にどっときました。
世の中から置いて行かれた私。
3月7日、あの時あの瞬間、確かに肉体の私はいたけれど、実はそこに魂の私はいなかった。
何処かに忘れたのか、何処かに行ってしまったのか。
それ以来、私の魂は戻ってこない。
心と身体が引きちぎられていて、ちぐはぐな自分。
もどかしさと焦りと、不安と恐怖と。
心身のバランスが取れなくなってきた頃に、食欲が暴走し始めました。
食べ始めると手が止まらない。
お腹が苦しい。
胃が痛い。
それでも一日中口に食べ物を押し込んでしまう。
ちょっとずつ、ほんのちょっとずつこの食欲というものの正体を理解(この食欲は精神的アンバランスからきていると自覚)できるようになってきた昨今、
あぁ私は失ったココロの破片を食欲で埋めようとしているんだなあと自覚できるようになりました。
身体の拘束は解かれても、内面の私は未だに5年前に拘禁された状態のままなのかも知れません。
戻らないのです。
そして上手く表現ができない私の様子、これは恐らく(拘禁という身体拘束を受けたことの無い)誰とも分かち合うことのできないもので、
これからも自分は独りでこれを背負っていかねばならないだろうと思っています。
だから、5年の隙間は埋めに行こうとするのではなく、勝手に埋まるまで待とうという気になりました。
もはや成すすべ無し。
何て悲しい。切なすぎます。
なので、
これは新人の勲章(?)「五月病」ではなかろうか…
と無理矢理前向きに考えてみました。
47歳で新人気分です。
今は未だ四月ですから、なんと。先どりです。
流行でも株でも先どりが大事。
と寝床でアイスをかじりながらプラスに考えています。