シャネルやエルメス、ヴィトンなどハイクラスブランドの古いモデルのバッグや小物を長年愛用されている女がいる。
見た目も結構くたびれている。手入れをしていないから。
ただの汚れた鞄や財布だ。
そういう女に限って、くたびれたブランド愛用品の肩書きを嬉しそうに語りたがる。
元彼に買って貰った
とか
〇〇商事時代のプロジェクト成功記念に買った
とか
私は一般人の女の過去になんて興味はなく普通に店舗でこれくださいと金を払えば手に入る陳列されたブランド品にも興味はない。
それよりもその目の前のブツのヨレヨレ具合や油染みに関心がいってしまう。
たいていのブランドの商品なんて消耗品だ。
その時の流行のものだ。
一回か二回メンテナンスをして美しさを感じられなくなったものは処分するものだと私は思っている。
捨てるのが忍びないなら、自宅で保管をして時折手にとって思いを馳せる程度にすれば良いのに。
物に思い入れの無い私でも、唯一亡くなった祖母のエルメスの若竹色のスカーフを大切にしているが、箱に入れて保管してある。
これは私にとって消耗品ではなく形見となるのだが、古くて私に似合わないから身に付けることはしない。
何年かに一度箱を開けて思い出している。
一方で彼女らはなぜ薄汚れてヨレヨレなものをいつまでも身に付けているのか。
そのブランド品に輝かしい過去の自分を重ねているからなのか。
そういえば、離婚しても元旦那の苗字を使い続ける女もいた。元旦那は、名のある実業家だ。しかし今や老いぼれだ。
名のある実業家の妻であった過去の良い部分だけを残しておきたいのか。
それを誇示したかったのか。
さらに思い出したが、元彼に買って貰ったところどころ色が剥げているエルメスの財布を後生大事にしている女のその元彼は確か創業一族だと言っていた。
やはり創業家一族の彼女だったという過去の輝かしい良いところだけを残しておきたかったのだろうか。
過去は過去でしかない。
今この時には、過去はなんの威力も発揮しないし、過去に縋ったって今が良くなることはない。
むしろ、過去にとらわれることで今の自分を客観的に見えなくなる。
古びたブランド品は現代の女性には似合わないと思う。
ましてや手入れをしていないものなんて。
今の自分が最も輝かしくみえる装いを。
一日一日時間は進んでいる。
見た目も中身も、刻む時より少しでも進んでいる自分でいたいと思う。
余談だが、かつて私は、出張先の香港で買ったFENDIの財布を使っていた。
ピンクの発色がすごく気に入っていたから。
しかしファスナーの開閉が思ったより固く、私の性格としていつも力づくで引っ張るためよく指が引っかかって負傷していた。札も挟んで破いた。
イライラしていた。
翌月のある日、これまた出張先で宿泊した大阪ヒルトンホテルのアーケードで空き時間にたまたま目に入った日本製の財布のファスナー(信頼のYKK スムーズにシャッシャッと開閉)に感激して衝動買いしてしまった。
値段は、確かFENDIの三分の一もしなかったと思う。
会社の自席で財布の中身を交換して、FENDIは会社のゴミ箱に捨てた。
と、途端に女性スタッフが駆け寄ってくる。
欲しいというので一度ゴミ箱に入ってしまったものを取り出してウエットティッシュと布で細かな汚れを綺麗に拭いてどうぞとあげた。
バングルのブルガリの時計も、手を振り回すたびにガチンと周囲の物にぶつかり手首が痛かったので、別のスタッフにあげたことがある。
私にとっては、ブランドなんてその程度のものだ。