おんなしゃちょう何某の雑記〜2024.3リターンズ〜

おんなしゃちょうは 2024/3 出所しました。

その後…判決から獄中へ

去る3月29日、東京地裁にて判決が言い渡された私は4年6か月の実刑と罰金6千万円となりました。

聞くに堪え難い判決文の内容…起訴されたら99.9%有罪の日本の刑事裁判の現実を身をもって知りました。
それでも刑期ではなく罰金額でもなく、とにかく判決文の内容が余りにも事実と相反するものであり、それを問いただしたい。ただその一心により、一度は高裁への控訴を行いました。
しかし様々なことを検討し弁護人や家族の意見を聞き話し合いを重ね、最終的な判断として控訴を取り下げすべてを受け入れることとしました。

頂いた意見の中で最も大きく私が服役するという決断に至らしめたもの。

「本当のことはもう充分わかっている。だからこそ裁判でもうこれ以上あなたが傷つく姿を見たくない。」

という声でした。
私に向かって、ボロボロになってまでもう闘ってほしくないと両親は泣き、知人は、これ以上の闘いは無駄死になると私に訴えました。
誰もが一日も早く完全な社会復帰を叶えてほしい、と。


高裁、最高裁と闘い続けるのも道、地裁で受け入れそこから新しく前に進むのも道、大きな大きな人生の分岐点に立った私は

“過去と決別し今日この日から新しい人生のページを綴る”

と記された矢印が示す先を進むことを決めたのです。


ちょうど一年前に連行されてきた小菅の東京拘置所。ここで厳しい取り調べを受け接見禁止となり弁護人以外誰とも突然連絡ができなくなった一か月。
地獄のような日々。
そして初公判。保釈。また戻ってきたこの独房。そこで刑の執行が言い渡され、私は受刑者として全国の刑務所への移送を待つ身となりました。
小菅には3か月程おりました。独房内で内職のような作業を毎日黙々とこなす状態でしたが去年未決勾留で居た頃とは違いとにかく何かやることのある毎日というものは私に落ちつきをもたらしてくれていました。
それでも受刑者となってしまっては、面会や信書の受発信や使用物品にかなり制限がかかるようになり、考えることといえばどこに移送されるのか?ということばかり。
ある日、職員から面談の声が掛かります。その内容からして自分の移送が間もないことを知りました。


数日後、同じ東京都にある東日本成人矯正医療センターへ移送と相成りました。

今その居室でこの原稿を書いています。


これからは不定期になりますが、おんなしゃちょうの獄中たよりと名うって塀の外にいるあなたへお届けできたらと思います。

人生のどん底から一年を経て塀の中に来ましたが、今の私は『終わりの始まり』を歩んでいます。
終わりはもちろん刑期の終わりですし過去との完全な決別でもある。

塀の中は不便ですが、思い返せば塀の外だって一見自由で便利でありながら実は様々なことにがんじがらめの不自由な世界でもあったなとつくづく感じています。

 

1年前の私へ。
1年後の私は確実に前に進んでいる。あの苦しみがあったからこそこの歩みを実感できている。
人生無傷で生きることはできないと知った今、この傷がいつか勲章となるように生きていきたいと思っている。