おんなしゃちょう何某の雑記〜2024.3リターンズ〜

おんなしゃちょうは 2024/3 出所しました。

おんなしゃちょうの獄中相談室《1》

Q.
会社員と並行して副業でパッケージデザインをやりたいなと思っています。
周りに声をかけていたところ、タイミングよく仕事の紹介をもらえそうです。が、発注主が某宗教法人です。受けても大丈夫でしょうか。ちなみに自分は無心後者です。(40代女性)
 
A.
私の見聞上、宗教法人の仕事は金払いが良い印象です。気にされている点は入信の誘いが来たらどうしよう、ということだと思います。
当然くるでしょう。
遅かれ早かれセミナーや集まり等の参加に声がかかるはずです。100%来ると覚悟しましょう。万が一来なかったらラッキー、そんな感じでいると良いのではないでしょうか。断っても、よほどの宗教法人でない限り、怖い思いをする事はないでしょうが、ずっと後味の悪い思いを引きずることになる可能性もあります。
そういうマイナスも受ける可能性が仕事とセットであります。
メンタルが強い人ならもちろん大丈夫でしょうが、そうでない方なら、踏み出したい案件でもぐっと我慢することも大切だと思います。
副業のスタートは、片手間位からがちょうど良いですし、結果そういうやり方の方が長期的にスムーズに進んでいくというのがビジネス上のあるある話です。

東京の刑務所での非常事態宣言

4月6日、週明けいつも通りの忙しさでしたが、朝から幹部職員のフロアへの出入りが多く、職員連絡用の社内PHSがあちこちで鳴り響く。
なんとなくいつもと様子が違う。
私はいよいよ非常事態宣言が出るなと感じていました。時を同じくして大阪拘置所で刑務官がコロナウィルスに感染したと言うニュースも出まして、より一層張り詰めた雰囲気もありました。
何せここは医療刑務所です。万が一ここで感染者が発生したら院内感染の危険もあり、重症化しやすい病人がワンサカいるわけですから。
…これは直に面会もNGになるかもしれない…と思い、すぐさま親族と弁護士に筆を取りました。手紙は週に3日だけ提出ができます。
何とか親族への発信は間に合いました。
翌7日、職員より呼び出しを受け、東京都に非常事態宣言が出ることによる刑務作業中止の通知を受けました。
「介助係としては、とりあえず3食の配膳作業は行う。洗濯回収衣類交換も行う。後は未定。これから居室へ戻ってください。」
頭に三角巾をつけモップを持ちデイルームの椅子上げをしていた私は、ぼう然と向かいに立つ刑務官の顔を見つめましたが、…正直我々だって困っていると言いたげな表情を返されてしまいました。
その後数日は何もかもが未定の中、その都度職員が本部に確認し指示を仰ぐ→会場係に伝達、バタバタと出役→早く帰れと言われながらバタバタと教室に戻るという、予定もスケジュールもない日々を過ごしました。
☆食事は患者全員が監視のない自室で取ることになりました。
誰の監視もない独居で食す…よって、食事をトイレに流してしまうとかティッシュに包んでロッカーに隠したりする人が続出。ナースによる食事チェックもなし。配給されるお茶すら飲まない人も出てきた。飲まない食わないで…死にたいのか?と思ってしまう。
☆一定以上の体重のある比較的病状の良い患者向けの工場作業は一切なし。ずっと居室にいる。精神的にきつそう。
☆収容者全員、夜寝る時以外は四六時中マスク着用が義務付けられた。同じマスクである。寝る前に洗っても良い。介助係にはある日布マスクが配られた。政府が配布したものだろうか。例のごとく患者は辛いとか面倒とか言い出しマスクを外すと言う規律違反者が続出。
☆面会は弁護人(裁判する人)以外NG。そもそも裁判自体も軒並み延期らしい。
☆月1で購入できる私物の日用品類は業者の都合で遅延もあるらしい。ただでさえ月1なのにさらに遅れるとは。
☆2人以上で同時に会話をしてはいけないらしい。密を避けるため?配膳作業を3人でやっている私はどうしたら良いかわからない。
☆エレベーターで停止できない街が出てきた。感染者を受け入れるんじゃないかと言う噂。
☆医者とナースがここは他の病院より全然マシと言っていた。
☆自営受刑者(私のような介助係とか、図書係、園芸係など)は自室にいる間、部屋のテレビで教育ビデオを見せられる。もれなく感想文付き。予想通り、古い内容。
☆朝昼夕食後の患者全員の身体検査。一般的に言う所の身体検査ではなく不正なものを隠し持っていないかの身体検査。
☆外部の人が出入りする理髪(業者が来てくれる)、茶道、オペラなど先生が来るクラブ活動の類はすべて中止。
 
宣言が出される少し前の暖かかった日。私は偏頭痛を起こし頭痛薬を希望したのですが、すぐさまナースが大挙してやってきて2メートル以上の距離から咳は出るか?息苦しさはあるか?と矢継ぎ早に問診を受け、ちょっとした騒ぎを起こしてしまいました…。
 
非常事態宣言を受けて感じるのは施設内全体の雰囲気が本当にピリピリしていること、慌ただしいこと、それを察知した患者受刑者たちの身勝手さ、エスカレートする気言動、ただただ振り回される職員、その職員たちの色と行き場のない苛立ち。
見回りだけにやってくる幹部職員を遠巻きに見ている医療スタッフ
医療刑務所で最も疲弊しているのは現場の職員なのでありました
ある日、もうやってらんねー…と小さくつぶやく声を聞く。
 
追伸:
4月中旬、介助係の作業は必要最小限の中のさらに最小限のみの作業となる。
毎日見ていた教育DVDすらなくなる。
刑務官の数も激減した。

おんなしゃちょうの獄中相談室を始めます。

 
新年になりました。
昨日は夜中まで起きていたので寝不足気味です。普段10時間睡眠をとって(取らされて)いると7時間でさえ寝不足になるということに驚きました。
 
さて今年の抱負を考えました。一昨年と去年は
 
”誰かの何かの役に立つ”
 
それを引き継いで2020年は
 
”誰かの支えになる”
 
とし、それを実践したいと思います。
 
昨年まではどこかにいる誰かに何かわずかでも役立ちたいと考え、
自分の経験や見聞思考をTwitterやブログという形で発信してきました。
 
一方で保釈中の1年弱、個人事業主や起業間もない経営者の相談を引き受けたり
アシスタント業務を完全無償と言う形で行い
裏方から自営業の皆さんの背中を支える活動も行いました。
 
公判中であることをお伝えし、
こんな私ですがという前置きがありながらも
「むしろそのような経験をした人だからこそ」と言ってもらえ
多くの皆さんとご縁をいただけたことに心からの感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
そんな活動の中強く感じていたのが
「あなたなら大丈夫だ」「あなたで良いのだ」と言ってもらえる存在の重要性です。
長い人生の坂の途中、つまずくことがあったとしても
そこでちょっとでも背中を支えながら寄り添ってくれる存在がいれば
起き上がる力が湧いてくる。明日を生きる1歩が出せる。
転ぶなつまずくなではなく、転んでもつまずいても良いのです。
そうしたら起き上がる背中を支える存在がいれば良い。
 
誰かの明日を生き抜く支えとなるべく、
おんなしゃちょうの獄中相談室を開設することにいたしました。
Twitterブログお便りetc…
あなたの相談、質問、悩みでも苦しみでも
私宛にお寄せいただけましたら独居房という名の相談室よりお答えします(実際はブログ上で)。
 
ご年齢と性別をお知らせください。
どうかこの辛く険しくも愉快な人生を私と共に生き抜いていきましょう。

青汁王子と私

私は2018年6月に保釈をされてからTwitterとブログを始めた。
裁判との兼ね合いで匿名ではあったが、今自分の身に起きていること、これまで経験したこと、私が考えることをどこかに記録として残すことで誰かの何かの役に立ちたいという思いからだった。
それまで必死に生きてきた自分自身の根っこの部分までも取り調べや裁判で散々に否定され、私は自分の存在意味を失いかけていた。
これでもかというくらい要らない人間だと言われ続け、本当にそうかもしれないと思った。でもそうじゃない、必要とされたいと思う気持ちもほんの少しだけ残っていた。
結審は2019年3月。
年末12月に血を吐くかと思うほどの7時間を超える尋問を終え、年を明けた。
どんな結果になろうとも、もはや悔いなしと振り切って、少しずつ身辺整理を始めていたそんなある日。
 
忘れもしない寒い日だった。日比谷で食事をするため久しぶりに有楽町駅に出た私の目に衝撃的なニュースが飛び込んできた。それは青汁王子こと三崎さんの、特捜部による逮捕を知らせるものだった。私が逮捕されてちょうど1年後である。
足が動かなくなった。
せわしなく駅に向かう人々の流れの中でただ1人うつむいて立ちすくんでいた。
目から涙がこぼれ肩がガクガク震えていた。行き交う人の声もネオンサインの明かりも耳に入らないし目に映らない。目の前のが真っ白になり私の周りだけ時が止まってしまったようだった。
彼とは面識は無い。メディアで何度か目にしたことがある程度だったのに、あの時の私は信じられないほど動揺していた。
1年前の自分の姿を彼に重ね合わせていた。
どの店で何を食べ、どんな話をしたのか全く記憶がない。
どう帰ってきたかもわからないが、気がつけば家の門の前で立ち尽くしていた。
それから数日、メディアやTwitter上では彼に関する真偽不明の情報が流れ、時折私に飛び火した。
私はじっとそれに堪えていた。そして外に出て寒い青空を見上げては会ったこともない青汁王子にただとにかく頑張れと手を合わせてメッセージを送り続けていた。
その後彼は保釈された。罪状は認めるということだった。
罪状を争う私と進んでいく道は違ったが、正面から自分の本心と向き合った者同士私は彼を1人の人間として称えたい。
そして3月の結審を経て私は収監となる。
この形はブログの前記事を見ていただきたい。少し時間を置いて三崎さんも執行猶予で結審したと聞き、これで終わったのだと塀の中の私は心で一区切りつけていた。
 
先日、残してある法人の事務処理について相談をするために裁判時の主任弁護士と面会をした。話が一段落した後に「青汁王子さんから連絡が来た」と聞かされる。
私のTwitterを見てくれていたらしい。何か自分にできる事はないか、との事だった。
本当に驚いた。
実は私が収監されてすぐTwitter更新サポートをしてくれている友人宛にもメッセージをいただいていた。その時は未だ彼は公判中の味であったので
「むしろ自分のことを!自分に気持ちを向けて!」
と思っていたのだが、今思えば彼も私と同様「誰かの何かの役に立ちたい」という気持ちだったのかもしれない。
弁護士にはとりあえず三崎さんが読んでいる本を読んでみたいので読み終わった本を差し入れていただけないかと伝えてほしいと答えた。
彼も一経営者、起業家として実績を出し私と同様に国税局の査察を得て特捜部逮捕となっている。
私は捜査のあり方に物申したいことがいくつもあるが、彼もきっと同じだろう(どうやら既にブチまけているらしいが…)。
塀の中と外で袂を分かつ形となったが、もし彼と交流を持つことができることがあれば、語り合いたいことがたくさんある。
そのことを人々に知っていただくのも、もしかしたら広い世界できっと誰かの何かの役にたつのではないかと思っている次第である。
 

その後…判決から獄中へ

去る3月29日、東京地裁にて判決が言い渡された私は4年6か月の実刑と罰金6千万円となりました。

聞くに堪え難い判決文の内容…起訴されたら99.9%有罪の日本の刑事裁判の現実を身をもって知りました。
それでも刑期ではなく罰金額でもなく、とにかく判決文の内容が余りにも事実と相反するものであり、それを問いただしたい。ただその一心により、一度は高裁への控訴を行いました。
しかし様々なことを検討し弁護人や家族の意見を聞き話し合いを重ね、最終的な判断として控訴を取り下げすべてを受け入れることとしました。

頂いた意見の中で最も大きく私が服役するという決断に至らしめたもの。

「本当のことはもう充分わかっている。だからこそ裁判でもうこれ以上あなたが傷つく姿を見たくない。」

という声でした。
私に向かって、ボロボロになってまでもう闘ってほしくないと両親は泣き、知人は、これ以上の闘いは無駄死になると私に訴えました。
誰もが一日も早く完全な社会復帰を叶えてほしい、と。


高裁、最高裁と闘い続けるのも道、地裁で受け入れそこから新しく前に進むのも道、大きな大きな人生の分岐点に立った私は

“過去と決別し今日この日から新しい人生のページを綴る”

と記された矢印が示す先を進むことを決めたのです。


ちょうど一年前に連行されてきた小菅の東京拘置所。ここで厳しい取り調べを受け接見禁止となり弁護人以外誰とも突然連絡ができなくなった一か月。
地獄のような日々。
そして初公判。保釈。また戻ってきたこの独房。そこで刑の執行が言い渡され、私は受刑者として全国の刑務所への移送を待つ身となりました。
小菅には3か月程おりました。独房内で内職のような作業を毎日黙々とこなす状態でしたが去年未決勾留で居た頃とは違いとにかく何かやることのある毎日というものは私に落ちつきをもたらしてくれていました。
それでも受刑者となってしまっては、面会や信書の受発信や使用物品にかなり制限がかかるようになり、考えることといえばどこに移送されるのか?ということばかり。
ある日、職員から面談の声が掛かります。その内容からして自分の移送が間もないことを知りました。


数日後、同じ東京都にある東日本成人矯正医療センターへ移送と相成りました。

今その居室でこの原稿を書いています。


これからは不定期になりますが、おんなしゃちょうの獄中たよりと名うって塀の外にいるあなたへお届けできたらと思います。

人生のどん底から一年を経て塀の中に来ましたが、今の私は『終わりの始まり』を歩んでいます。
終わりはもちろん刑期の終わりですし過去との完全な決別でもある。

塀の中は不便ですが、思い返せば塀の外だって一見自由で便利でありながら実は様々なことにがんじがらめの不自由な世界でもあったなとつくづく感じています。

 

1年前の私へ。
1年後の私は確実に前に進んでいる。あの苦しみがあったからこそこの歩みを実感できている。
人生無傷で生きることはできないと知った今、この傷がいつか勲章となるように生きていきたいと思っている。

悔い無し

本日公判で判決となります。

 

お恥ずかしながら、週明けより体調を崩して風邪を悪化させており結審前の最後の記事となってしまいました。

 

あいにくの肌寒い曇り空の朝ですが、今の私は全てをやり尽くして天命を待つ晴れた気持ちです。

 

もちろん実刑となることへの恐怖もあります。

 

しかし、車窓からこの曇り空を見つめながらこんなことで負けたくない。これしきのことで私は終わる筈がないという強い意思が湧いてくるというのも事実です。

 

 

これを読んでくださった方々に私からの敬愛をお送りします。

 

ありがとうございました!

 

 

実在するおんなしゃちょうであるワタシ

判決を今週末に控え、保釈後私を助けてくれたり励ましてくれた方々に挨拶に行っています。

 

有難い事に、沢山の方が本当に暖かく接して下さいました。そのお陰で私は約半年間の娑婆で気持ちを取り戻し、逮捕、取り調べ、拘置所ストレスでなりかかったPTSDも早期に回復し、最後まで裁判を受け続けることができました。

 

今はやりきった悔い無しの思いです。

私は公判において事実をはっきりと強く主張することができました。

 

それが裁判所に受け入れられようと受け入れられまいと、もう私がどうこうする範疇ではありません。

 

既に気持ちは晴れています。

清々しく判決を受けてこようと思います。

 

 

ひとつ心残りなのがこのblogでして、何気にデイリー100〜150pvとなりました。

 

スーツケースを引っ提げて世界をぐるぐる飛び回っていた頃は、目の前の仕事を大きくすることだけしか気持ちが向きませんでした。

でも、このような立場になったからこそ日々を振り返りながらネットを通じて皆さんに私を知って頂ける機会を得られました。

 

 

女社長というと泡とかスパとか(????)煌びやかな世界というイメージですが、そんなイメージとは程遠い実際はむしろ泥臭くて意識低い系の私でありました。

 

実在する雑草魂の女社長が考えていること経験したことを伝えることで、世の女性にキラキラインスタ映えなんて無理して演出して意識高くする必要なんて無いじゃんと叫びたいのです。

 

そうしなきゃ社長になれない一人前になれないなんて思って欲しくない。

 

間違ってもパパ活で出資してもらうなんて馬鹿丸出しの記事を真に受けて、不幸にならないで欲しいです。

 

 

成功には、己の地道な努力しかないのです。

その道中は転んで泥も浴び膝も擦り剥き鼻血だって出るんです。

 

 

吐いたり、お腹を下したり。

汚い姿。それで、良いのです。

 

 

金曜日の判決がもし実刑となってしまったら、閉廷後そのまま私は東京拘置所に収監されてしまいます。

 

それまであとひとつふたつ記事をUPできるかと思いますので、最後までお付き合い頂けますと幸いです。