おんなしゃちょう何某の雑記〜2024.3リターンズ〜

おんなしゃちょうは 2024/3 出所しました。

拘置所にいた話 その6 被疑者として最初で最後の裁判所

裁判所では窓のない留置場の中、独りぼっちで時間もわからないまま長い長い時間を待たされた。

 

地下であるし、何よりもそこに待ち続けた人々の念が漂っていて、とても重く澱んだ空気が溢れていた。

 

トイレットペーパーはほんの少ししか貰えない。ほぼ必要都度に刑務官を呼んでペーパーを貰わなければならないほどだ。

 

この留置場は私のような被疑者以外に保釈が認められない被告人、例えば重犯罪の人、殺人や未遂の被告もいたりする訳で、何年も十何年も裁判を続ける為に拘置所から通い続ける人もいるだろう。

 

この留置場が裁判前最後に一人きりになる場所なので、思い詰めてこれを喉鼻に詰めて窒息を起こすような人もいるかも知れないなと思った。

 

お昼ご飯は、アルミの大きいトレーに玉子屋(知る人ぞ知る存在)の3割簡素化されたような中身の仕出し弁当が乗せられて手渡しされる。

 

拘置所では強制的に配膳回収が来て、その時食べ切れていないものはそのまま返さなければならないが、ここでは食べ終わったら報知器を押す。

 

私も普通の人間なのでこんな環境で食欲が出る訳もなく、おかずと白飯二口三口を食し早々に回収してくれと報知器を押した。

 

それから、また気の遠くなるような長い時間が経った。

 

呼ばれて連れて行かれた部屋には、裁判官と書かれた名札が立て掛けられた机に比較的若い男性が座っていた。

 

優しくだか毅然とした声で向かいの椅子に座るよう促された。

 

「貴女はこれこれこのような罪状にて嫌疑を受けていますが、今の時点で言いたい事はありますか。」

「私は〜〜〜について、●●●であると主張したいです。」

 

公判中の為詳細は記載できないが、このようなやり取りを2〜3分したと思う。

 

最後に「貴女には裁判所より接見禁止が下されています。一部解除を希望することもできます。その場合は、裁判所に申し出てください。」と宣告を受けた。

 

この時より私は弁護士以外とは家族とも社員とも一切の音信が出来なくなった。

 

接見禁止は、特捜部から起訴を受けて接見禁止が解除される約一カ月先まで続くことになった。

 

部屋を出て留置場に戻り、再度声が掛かるまで長い時間を淀んだ空気の中で過ごしていた。

 

時間潰しの小説と少女マンガを一冊づつ貸し出されていたが、小説が身を滅ぼしていく少年の話で、気が滅入る内容の本は本当に辛い。

 

しかし読まないことには長い時間をただ無意味に過ごす不自由な身の上が苦痛なだけである。仕方なく気持ちを遠ざけながら時間を忘れようと読んでいた。

 

帰ると声掛けがあり、施錠腰縄を付けられて行きと同様に数珠繋ぎの数名の後に私は単独で移動し、付き添いの刑務官と共にバスの最後部に座る。

 

バスは裁判所を出てまだ少し明るい銀座の交差点を渡っていく。

 

あぁ、数日前の私はここを歩いていた。

 

バスの中から銀座の街を足早に去っていく人々を何の感情も無く見続けていた。

 

悲しいという気持ちも辛いという気持ちも起こらず、ただ数日前の記憶、普段の生活をひたすら思い返していたら、小菅の高速出口を降りて拘置所に戻ってきた。

 

拘置所の2階に戻ると廊下の照明は少し落ち、ラジオの音が各部屋から漏れていた。仮就寝の17時を過ぎていた。

 

自分の部屋の前に来て扉を見ると、

 

被疑者

接見禁止

 

とデカデカと書かれた長方形のマグネットが2つ視線の中央辺りに貼られていた。

 

 

私はこれより被疑者且つ接見禁止という身分になる。

 

被疑者という身分で裁判所に行くのはこれが最初であり最後だ。

 

次に行く時、私は被疑者から被告人という立場になっていて、促される所は調べ室ではなく法廷となるのだ。