起訴されたと同時に、弁護士が接見禁止の解除を申請してくれていたものが受理された。
弁護士からは、受理されても一部解除となり引き続き接見禁止の人リストがバーっと明記される可能性があると言われていた。
しかし、接見禁止解除と書かれた裁判所からの書面には何も記されておらず、晴れて私は家族や会社関係者と面会や物の授受ができるようになったのだ。
既に取り調べは終了したため、日中は面会が無い日は誰とも口をきくこともなく歩くことも無く一日中を部屋の中で過ごす。
この頃には銀行から信用不安による口座凍結にあっていたため、社員には全員辞めてもらっていた。
申し訳なさと悔しさで、昼夜問わず毎日泣いた。
私は自分の人生を賭けて会社を運営してきたのに、最後は社員すら守ることができなかったと。
精神的な限界も近づき、夜に眠ることが出来なくなったので睡眠薬が処方された。
拘置所の女区の中では、特捜部から来た私は少し特別な存在だったらしい。
刑務官が気にかけてくれたし、気を遣ってくれたりした。
泣いている私に、食器口の扉をそっと開けて「今日は暖かい日だよ。元気出して。」と声を掛けてくれた人もいたし、面会の際に自室から面会室まで引率するときに面白い話をしてクスッと笑わせてくれたりした人もいた。
もちろん、本来の規則では廊下では声を出してはいけないし収容者は真っ直ぐ前だけを向いて歩かなければならないのだが、その刑務官たちの心遣いに、私は随分と救われたと記憶している。
そんなこんなを経て、約一カ月が経とうとしていた。
弁護士面会の際に、初公判の日が決まったと教えて貰う。
ここから検察が証拠として押収品の中からいろいろ出してきたり、供述を得た人の調書から裁判での主張の裏付けとなるものを続々と出してくる。
それは、控えとなって私も弁護士から受け取ることになるのだが、特に供述調書については、私はまた精神的に参ってしまった。
人はこれほどの変わり様をするのかと思える程に、ずっと面倒をみてきた人々が手のひらを返して私のことを悪人のように表現している厚さ5cmを超える供述をまとめた書類だった。
本当にぼろぼろになった。
金の切れ目は縁の切れ目とは良く言ったものだが、そうと理解しながらもこれは酷すぎた。
とめどなく涙を流しながら弁護士面会の時に訴えたら、
「じゃ、この人は絶対にそんなこと言う訳ない!と抗議できます?それとも、あー言うかもしれない人だなーと思います?」
「・・・言うかもしれない人だと思います。ズズッ(鼻音)」
「みんな、保身ですよ。」
「・・・・・・・・。」
保身。
いま、私は起訴事実について全て認めているというスタンスにしている。
と、なるとこの保身故のあることないことの供述についても、全て認めることになるのか。
それで良いのか。
自分さえ全て飲み込めばしゃんしゃんの手拍子でつつがなく終わると思っていたが、、、本当にそれで良いのだろうか。
私を信じてくれていた人たち、社員、家族、その人たちの名誉まで汚してしまうことになるのではないか。
私は、悩み始めた。
ちょうど追い討ちをかけるように、弁護士より初公判前に罪状認否の方向性を裁判所と検察官に伝える機会があるのだと聞く。
取り調べでは自白としたが、ここに来て、いやそうじゃない!と言うこともできるらしい。
GW明けに確認をしたいので良く考えてくれと言い残して弁護士面会は終わった。
初公判は、さらに一ヶ月後だ。